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Posted by ミリタリーブログ at

2007年12月13日

高杉晋作から坂本竜馬への上海土産!?



幕末の風雲児“坂本龍馬”と共に幕末日本を駆け抜けたS&Wリボルバー!

                          S&W Model 2ア-ミ-

 昨日までのアサルトライフルに代表される現代銃を中心に紹介しましたが、今日は一気にタイムスリップ!

1860~80年代の銃を2回に分けて紹介します。


 第1回目の今日は、幕末日本を駆け抜けた時代の風雲児“坂本龍馬”。その愛刀陸奥守吉行と共に愛した

『S&W Model2アーミー』を紹介します。



☆実銃の『S&W M2 Army』は、初めて金属薬莢を使用した

22口径「S&W Model 1」を32口径化し、装弾数も5発から6発へ増や

し、1861年に発売されたモデルである。

 発売年に勃発した南北戦争では、その小型軽量・リロードの容易さか

ら脚光を浴び、出征兵士の護身用に、また一般家庭の護身用に大ヒッ

トし、S&W社では、向う3年間の製造数に匹敵する受注があり、それ以

後の受注を締め切ったほどであった。

しかし、モデル名に「アーミー」とついてはいるが、軍に採用された実績

は無い。









“坂本龍馬”『S&W M2 Army』の関係は、タイト

ルにも有る通り、幕末長州の奇兵隊創設者であり、自由

奔放な勤皇の志士“高杉晋作”より、長州藩の使節として

訪れた清国の上海で購入し、薩長同盟成立させた労に報

いる形と、当時は既に幕府のお尋ね者であった龍馬の身

を按じた結果から、龍馬に贈った(1865年・慶応元年と言

われている)とされている。


 また、晋作からこの銃を贈られた翌年(慶応2年・1866

年1月24日)京の都は、寺田屋において幕吏に襲われた

時、寺田屋お竜と共に竜馬の危急を救ったのがこの銃で

ある。


 まぁこの時は5発発射し、リロード時シリンダーを紛失

し、シリンダー無しの銃で刀を受け、右の指に重傷を負っ

た。

 ≪私としては、この時『北辰一刀流』免許皆伝の龍馬な

ら銃ではなく刀で対応して欲しかったと言うのは正直な気

持ち。ただ暗がりでの強襲であった為仕方が無かったの

は分かるのだが・・・。≫


もう一つ、この銃と龍馬のエピソードで、有名なのが寺田

屋騒動後お竜と結婚した龍馬が傷の保養の為、「西郷隆

」の計らいで、薩摩(鹿児島)へ行き(日本発の新婚旅

行であるそうな)、射撃を二人で楽しんだと言うのが言い伝えられている。(実際龍馬が姉宛の手紙にその様子が

絵入で報告している)






















☆なんか“坂本龍馬”の話に移ってしまった感がありますが、ここで話を『S&W M2 Army』に戻します。

(^_^)

この銃は、マルシン製モデルガン。しかも私の苦手な作るモデルガン、そう!キットモデル!(><)

長らく完成品の発売を待っていたのだが、どうも出そうに無いので、最近このキットが再販されたのを気に手を出

してみました。

できました!比較的簡単に!不器用な私でもご覧の様に出来ました!・・・・そんなに喜ぶほどでもない事です

が・・・(^_^;)

後、ブルーイングでも出来たら更に良くなるのでしょうが、無理はしません。このままで十分(^_^)V

でも、在庫がまだある様だったら、ブルーイングにもチャレンジしてみようとも考えてます。

最後にやはり“龍馬”絡みの写真をご覧下さい。























次回は、西部と言えばCo○t S○○です。


   

Posted by のぶちゃん at 00:05Comments(2)S&W